地域の風景のプロトコルをなす地域の材

地域の風景のプロトコルをなす地域の材

大分県立美術館の「坂茂建築展-仮設住宅から美術館まで」(会期:2020年5月11日~7月5日)の開催にあわせて、県内の主要な建築物をマップにまとめた「大分建築マップ」が作成され、OPAMのHPに「本展を鑑賞された県内外の皆様が、大分県内の建築物を知り、現地を訪れるきっかけになれば幸いです」とのコメントがありました。このマップに、黒川哲郎+デザインリーグのスケルトンログの作品

1997年 クラフト館蜂の巣『月點波心』
1998年 ハウス大分川カヌー艇庫『仙姿舞鶴』
1998年 鯛生金山砂金採取場『月兎黄金』
1999年 みちの駅あさじ『菜花朧月館』
2000年 大分県立日田高校新体育館『遠思巨材館』

が掲載されています。

大規模な作品が多数を占める中で、弊社の小品を5点も選んでくださったことは、地域の皆さまに愛されて大切に使っていただいている証と、とても感激いたしました。改めて、それぞれの建物に付けている別号の意味を紐解こうと、『建築のミッション』の「.スケルトンログ」を読み直してみました。

「木造校舎は、故郷の風景を語るとき大きな役割を果たしてきました。それは校舎が「地域の材」でつくられ、「地域の技」が多様に編み込まれていたからです。地域の材と技は、故郷の風景を生み育てる建築の、基本的な作法(さほう)=プロトコルであり、その作法(さくほう)=ブリコラージュです」

と前置きし、

「新たにつくる建築と風景の合意のために、建物に別号=ニックネームをつけることにしました。いわば歌枕ともいうべきプロトコルで、地域の人たちが、作り出された風景にその別号を重ね、既視感ともいえる共有感をもって受け止めてもらいたいという願いです。

構造材としての木が、コンクリートや鉄に比べて、メディア性に優れているのは、地域の風土性を包含しているからです。とりわけ皮剥ぎ丸太は、樹種や環境のみならず、施業など人の関わりまでを素直にそして色濃く漂わせます」

と述べて、「クラフト館蜂の巣」について、
「杉丸太の大径46本、中径27本、小径9本を用い、3鉸点トラスラーメンのユニットによって12角形を構成しています。

湯布院の、霧に包まれた月影の美しい盆地を湖に見立て、そこに映った月の世界を描こうとしました。唐代の詩人白楽天が、杭州西湖の「波心に點じた月」を珠(たま)と詠じた入れ子の世界に因んでいます。ガラスとガルバリウム鋼鈑の被膜に包まれた『月點波心』は、木のスケルトンとインフィルとクラフトグッズを金色に輝かせ、月宮となって人々をそぞろに漂わせます」

「ハウス大分川カヌー艇庫」では、
「中央にマスト状の柱を2本立て、3鉸点立体トラスラーメンを組んでいます。マストに絡む金物はまるで千手観音のようで、日本を代表する製鉄所を支える市中の鉄工所が、鍛冶屋仕事を見事にこなしてくれました。

舞鶴の地名は、かつて大分川のこの地に鶴が舞いおりてきたことによっており、その姿が仙人に倣(なぞら)えられたことから、別号を『仙姿舞鶴』とし、カヌーに通じる合理を求めた艇庫の構造とかたちを、風景と光景のプロトコルとしました。それはまた川上の山林と川下の建築とを結ぶプロトコルともなりました」

「鯛生金山砂金採取場」では、
「杉丸太144本を用い、梁間・桁行とも6mを、それぞれ2鉸点トラスラーメン、3鉸点トラスラーメンで架構し、撞木(しゅもく)のような柱と梁・桁ユニットには、あらかじめ回転を与えて捻じれに対応させています。

かつて鉱業で栄えた村には、宮沢賢治の「風の又三郎」に通じるような「近代」の開放的な雰囲気が漂っていました。『月兎黄金(ゲットゴールド)』は、砂金採取の体験学習施設としてのニックネームです」

「みちの駅あさじ」では、
「梁間10・8m、桁行36mと一挙に巨大になり、岩国の錦帯橋と肩を並べ、木造建築の品質確保、とりわけ丸太材の品質管理と架構の精度管理とに本格的に取り組む必要を感じ、大工は、佐藤秀三氏健在の時代の佐藤秀工務店で修業を積んだ、臼杵の足立信治氏に依頼しました。設計者と施工者と大工に金物製作者が加わり、精度確保の方法と建て方、ムクリなどについて原寸検査を行って、木材架構と金物製作に着手しました。わずかな角度や寸法の誤差が大きな精度不良を生じる大架構の基本技術を習得し、マニュアル化を進める貴重な体験となりました。

国道沿いにありながら車を誘い込む手掛かりに乏しく、建築の作る風景がその役割を果たす必要があると考え、敷地の有機農法による菜の花畑を水面に見立て、渡月橋のような橋を架け、『菜花朧月館』と別号しました」

そして「大分県立日田高校新体育館」では、
「日田杉300本を用い、長さ7メートルの材を交互に半駒ずらしに重ねて三段のアーチを描き、そこに生み出されたトラスによって相互にアーチの屈曲を抑制し、主たる圧縮応力を中のアーチに流しています。いわば「毛利元就の三本の矢」に通じる木造建築ならではの短尺大径材を用いた架構です。

日田の先哲・広瀬淡窓の私塾・咸宜園遠思楼(かんぎえんえんしろう)に因み、在校生が巨木に育ってくれることを願って、『遠思巨材館』と別号しました」

と綴っています。

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