ガラスブロック——もののはじめ考

ガラスブロックーーもののはじめ考

「ガラスブロックにくびったけ」というブログに、『建築光幻学』(1977年 鹿島出版会)が紹介されていて、「この本は私が知りうる中でもっとも初期のガラスブロックが収録されている一冊で、光をキーワードに建築を解説した名著だと思っています。・・・・日本のガラスブロックの起源を知るためには、当時のメーカー、施工の業者を調べるか、古い建物でガラスブロックが用いられているものを探し話を聞くことが必要だと思っています」と書かれていました。

当時のメーカー、日本電気硝子のPR誌『環』の「設計者に聞く」というインタビュー記事〈忘れられた表現をとり戻したい〉No.16(1986年)、〈忘れられた表現から新たな表現へ〉 No.17(1987年)の中で、建材事業部長の戸川備雄氏を聞き手に、黒川哲郎はガラスブロックとの関わりを逐次的に語っています。その流れの中で、『建築光幻学』がサブタイトル「透光不透視の世界」のもと、長谷川堯氏と共著とさせていただいた経緯にも触れています。

ガラスブロックのオリジナルデザインを手掛けるきっかけを、

「僕が最初に興味をもったのは、大学院の頃、英国の雑誌を見ていて、ガラスブロックを使ったピエール・シャロー設計の『ガラスの家=ダルザス邸』の、透明な大板ガラスを使った他の近代建築とは違う表情を読み取った時です。その直後、イェールの機関誌『パースペクタ 12』で、ケネス・フランプトンの『ガラスの家』の分析・評論を読んで、実際のガラスブロックの形や、どういう効果をもって使われているかを知り、東京藝大建築科教室で永田昌民氏らと数人で訳して『建築 1971年5月号』に掲載しました。1年間の藤木忠善氏の下での就業時代を経て独立してすぐ、ベンチャー企業の研究所と事務室と工場一体の建物を設計するにあたって、道路からの音を防いだり、拡散した光を部屋の奥に入れたりするためにガラスブロックを使うチャンスだなと思ったのです。でも当時販売されていたガラスブロックには気に入ったものがなかったのです」

と語ります。この時から日本電気硝子と黒川との長い縁が始まります。

「ブエノスアイレス市立銀行本店が掲載されている『domus』誌を戸川氏にお見せしたところ、ガラスブロックそのもののデザインを変えれば、もっと建築家から受け入れてもらえるのではとお考えになり、当時私が設計中のいくつかの住宅のためにも、新しいガラスブロックを作ろうということになり、『コロナ』が生まれたのです。四角に丸というパターンは、『ダルザス邸』と同じですが、『ダルザス邸』のそれは、間に空気層を持たないシングルのガラス板で、むしろガラスブリックと呼ぶべきでしょう。
『コロナ』が出てから槇文彦氏や磯崎新氏が使ってくださり、少しずつ関心がひろがっていきました。建築家は常に新しいデザインを求めていますから、建築的には古いボキャブラリーだけど「新しい表現ができる」ということからでしょう、ガラスブロックを使った建物がふえてきました。とくに、1975年に香山寿夫氏設計の東大工学部六号館の増築に使われて、ガラスブロックのイメージを強烈に皆さんに受け止めていただき、日本電気硝子の経営サイドからも認識を新たにするきっかけになったのではと思っています」

そして、『建築光幻学』執筆の経緯をこう述べます。

「ちょうどそのころ、『住宅建築 1975年10月号』で長谷川堯氏が、「ガラスブロックの輝き」という小論の中で「透光透視・透光不透視」という言葉を使って、『透光不透視の効果、光は通すけれど向こうがみえないというガラスの魅力が、今の建築では忘れられている・・・・ガラスブロックは光のためのフィルターとなって建築空間の中の光の表情が表れる」と書いておられました。この「透光不透視」という言葉に勇気を得て執筆したのが、『建築光幻学』です。建築にとって本質的な光の問題を提起したつもりです」

そして、日本電気硝子との多方面でのプロジェクト作業が続きます。

「それまで、光を取り入れるという意味では、板ガラスに随分縛られてきたけれど、もう一方の透光不透視の方に建築的な意味がある、ということがわかってきて、ガラスブロックを復権させるということ以上に、そうした建築の意味を復権させることが僕にとって大きな意味を持ってきたわけです。
勿論ガラスブロックそのモノのパターンや、ガラス自身が肉厚を持っている素材としての魅力もあります。建築は結果となる建物なり空間を作って初めて意味をもつものですから、その辺の理屈付けがはっきりして、パターンデザイン作業もやりました。
『住宅建築 特集――住宅とガラスブロック 1978年6月臨時増刊号』は、いろいろな建築家の方に作品例を提供していただいて、より普遍的な住宅にガラスブロックを定着させていこうという作業でした。
他方でガラスブロックに対して割れや雨漏りなど苦い経験のイメージを持ち続けていたジュネレーションの方々との壁を取り払うために、構造の浜宇津正氏、工法の藤沢好一氏と協力して『製品開発と施工マニュアル』作業をしました」

と、ガラスブロックの復権へと、ソフトとハードの両面で充実させていったことを語ります。

次号の〈忘れられた表現から新たな表現へ〉では、黒川の部品化論ひいては建築論へと広がります。

「僕が、ガラスブロックのほかにも部品を作ることに興味を持っているのは、これまでの建築は、良い職人と良い材料を使って、現場の段階で十分手間暇かけてやれましたが、それでは時代の要請に応えていけない。その時、考えるべきことは、設計やデザインのプロセスに時間をかけた量産品を使っての施工の合理化です。ガラスブロックを通った光が、部屋自体を満たし、その光の性質によって空間の性質が決まる。極端に言うと、ガラスブロックをデザインすると建築の空間づくりの大部分のことをやっていることになる。
良いデザインプロダクツはそれだけにとどまらず、例えばガラスブロックを他の材料と組み合わせるとか、より効果的な使い方とか、そういうことから、新たな表現が生まれてくるのです。

現代建築では曲面の壁が増えてきますが、ガラスブロックは板ガラスより簡単に作れる。点的な光を入れるとか、壁を切り裂いてパターン的な光を入れるとか、ということもガラスブロックの特徴の一つとなっていると思います。‥‥床そのものが光を通すことができるという点で、板ガラスよりも強烈なイメージのモノをつくることができるわけですね。
こういう材料や部品というのは、ほかの建築家にも使ってもらって時代的な表現になっていく‥‥ガラスブロックが復権に成功したのは、今までの近代建築の材料に飽きてきていたことや、自然素材の見直しがあったりしたからです。板ガラスの無機的な表情に対して有機的な表情をもっているとか、手作り的なイメージを持っているとか」

そして戸川氏と、ガラスブロックの今後のデザインの具体的なアイデアや施工法のアイデアが次々と話題となり、盛り上がった後、

「建築も一つの時代の表現ですが、ファッションなどと違い長く使われて文化の基盤となるものです。ですから設計のプロセスにエネルギーと時間をかけることがますます重要になってきているのだと思います」

とインタビューの最後を締めくくっています。

*記事中の敬称は、今回すべて氏と表記しました。

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