1980年代の建築PR誌は、時の勢いそのままに質・量ともに活況を呈し、また建築家たちも、既存の建築ジャーナリズムに囚われない自由な発信をしていたように見受けられます。
TOSTEM(旧トーヨーサッシ、現LIXIL)の『ぐっどりびんぐ』1988年5月号臨時増刊号の裏表紙、「Relay Essay 10 東孝光氏より黒川哲郎氏へ」で、黒川は、
「忙しいときほど無性に本が読みたくなる癖が幸いして、2冊の読み応えのある本に出合った」
とのイントロで、オーガスト・E・コマンダント著の『ルイス・カーンとの十八年』(1986年 明現社)と、下村純一著の『薔薇と幾何学』(1988年 平凡社)の2冊を挙げ、このエッセイのタイトルを「近代からの回航」としています。
「『ルイス・カーンとの十八年』では、カーンとコマンダント、つまり建築家と構造家が、互いに葛藤しつつ、かつ一体となった建築創造の苦闘が、実に身近で生々しいものに感じられた。と同時に16年前『リチャーズ医学研究所』や『ソーク生物学研究所』を見た時の感激を新たにした。
もっとも、この本を目にする前から、もともと土木のものであったプレストレストコンクリートがコマンダントによって建築に持ち込まれ、それによってカーンの才能が明瞭なものになったことや、二人の妥協なき討論が『キンベル美術館』のアーチと妻壁の間のスリットのような素晴しい解決を生んだことは、知識としては知ってはいた。
しかし、この構造家が、カーンの創ろうとする空間を、その発想の過程からを充分に理解し、把握していたのみならず、迷いなき相談者であり、ときには先導者ですらあったことが、本人の口から赤裸々に語られており、しかも信じがたいほど自己をも客観化したその語り口に、少なからず感動を覚えさせられた。
そして、建築の独自性を支えている構造や構法が、我々の時代において、その表現から曖昧なものに貶められていることを嘆かずにはいられなかった。
『薔薇と幾何学』もまた、ベルラーヘの『アムステルダム株式取引所』やオルタの『自邸』、コルビュジエの『サヴォワ邸』などを初めて見た時の感激を新たにしてくれた本である。標題は、直接的には「装飾と建築」を問うものであろうが、イコンとイデーの隠喩とも思われ、おそらくそれは、ヨーロッパの建築において、近代建築のみならず、古典においても現代においても、時代を超えて共通するテーマなのであろう。
著者の下村氏との共感は多々あるが、その極めつけは、近代建築あるいはファンクショナリズムの典型ともいうべき、フルーフトの『ファン・ネレ煙草工場』についてである。構造と被膜(カーテンウォール)、そしてそこから単に形態ではなく、空間が生みだされている様が、実に官能的に語られている。
著者の入れ込みぶりは、ファンクショナリズムはまだ終わっていないと感じており、今日の建築の近代からの変曲(あるいは振幅)の大きさに疑問をもつ私に、共感者に出会った思いを抱かせた」
と綴っています。そして、
「ポストモダン、ハイテック、エスニックのいずれのスタイルでもない建築を求めるための英気をさらに高めるために、久しぶりに、近代建築廻りの旅をしてみたい気持ちをつのらせた、二冊の本であった」
と締めくくっています。
黒川は、常に『ルイス・カーンとの十八年』をカバンの中に入れて持ち歩いていたように思います。おそらく、大学院時代に藤木忠善氏の下で携わった『上野動物園象舎(1968)』で出会い、『黒田アトリエ(1974)』以来三十八年のパートナー、構造家・浜宇津正氏と自身との関係を重ね合わせ、自己研鑽に励んでいたのでしょう。
そしてまた2002年にバルセロナを旅した時、『カタルーニャの音楽堂』に半日を費やしていたことが鮮明に思い出されます。
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