日本建築の「実の透明性」と「虚の透明性」
板硝子協会創立50周年記念として1997年に出版された『まど―日本のかたち―』は、四半世紀を経てもなお、「素晴しい本ですね」とのお言葉をいただきます。題字を内田祥哉氏が、巻頭文「都市の中の窓」を槇文彦氏、第1章「風景と光景のかたち」を黒川哲郎、第2章「風土と暮らしのかたち」を安藤邦廣氏、第3章「和と洋のかたち」を八木幸二氏がそれぞれ執筆、全体編集を松木一浩氏、年表作成を中村亜弥子氏という構成です。そして何よりも平山忠治氏、増田彰久氏、渡辺義雄氏ら建築カメラマン諸氏の「この建築にはこのアングルが必然」といった写真の見事さは特筆です。しかしながらその写真の価値の高さ故に「非売品」ということにならざるを得ず、「残念な一冊」となってしまいました。
第1章の写真頁では、古墳時代の家型埴輪から『伊勢神宮』『出雲大社』『法隆寺』『東大寺』・・・と、日本の古建築の開口部をクロノロジカルに追い、山形有朋の『無鄰菴』の細身の組子にガラスをはめ大きな面をつくる創意に、現代建築の開口部の予兆が感じられます。
第2章の見開き写真頁に付せられた、「土間の窓」「壁と窓」「広間」「濡縁」「内縁」「座敷」「ガラス戸」「雨端」「雨囲い」「土縁」「雁木」「夏障子・冬障子」「雪囲い」「格子」「中庭」「高窓」「蔵の窓」「養蚕の窓」「破風と煙出し」のタイトルは、日本人にとって馴染みな語彙にもかかわらず、今日の暮らしのなかでその実物を目にすることがほとんど無くなっていることに驚かされます。
第3章のやはり見開き写真頁に付せられた、「長崎のバンガロー」「初期の洋風建築」「和洋の融合」「玄関ポーチ」「洋風縁側」「円と半円」「和風ステンドグラス」「光と色によるシンボル」「様式の表現」「大空間の窓」「アトリウムの天窓」「和と洋の併設」「洋にとり込まれた和」「緩衝空間をつくるガラス」「近代建築運動の影響」「日本美の再発見」「伝統的露台」「開放性の追求」「ヴォリュームの表現」「窓の表層化」のタイトルは、日本の前近代からモダンそしてポストモダンへの近代建築史が、「窓」のあり様にあることが再認識されます。
第2・3章の両先生の論文にコメントすることは、分を越えますので、ここでは、黒川担当の第1章のみをサマライズいたしますことをお許しください。
「日本のマドは自然や庭園を風景とし、信仰や遊びを光景として映しだすメディアであり、外なる世界と内なる世界が双方向から重畳する、ミューチュアルな共鳴箱である」と前置きし、縄文時代のマドの原型とその後のかたちに、中国からの漢字の伝来と日本人の言霊の習合から、間に戸を立てるとしての間戸(マド)、廂(ソウ)、窓(マド=ソウ)の論を展開し、西洋の開口(WINDOW)との根本的な相違を述べます。
そして、『法隆寺』の「連子」を外からの結界のスクリーンとし、浄土信仰が生まれると「格子」のスクリーンは内部にも浸透し、彼岸の世界を映しこむものとなり、やがて母屋の中の「廂」は下屋の「庇」となるとし、『源氏物語絵巻』の画法「吹抜屋台」に至ります。それをルネッサンス期のパースペクティブ画法の発明と比較し、ギィーディオンの『時間・空間・建築』、コーリン・ロウの『透明性』の「実の透明性」と「虚の透明性」に言及して、いよいよ日本建築独自の「数寄屋」が登場します。
「数寄と透きを短絡して論じることはできないが」と前置きしながらも、数寄屋建築の本質を、「透きの概念は、建築空間に二次元的な隙(スキ)、三次元的な空(スキ)として存在しており、建築の技術的な発展と共に、内外の空間をつなぎ、視覚的な透明感を生み出すものとして意識的に操作され、数寄屋の様式やその手法的な成熟を遂げていった」とします。書院造に言及したのち、利休の茶室を「すでに目に見えているものも心の中でその表層を拭い去り、剝がしとることによってその本質があらわれてくる」と看破します。
続いて、『桂』や『修学院』の離宮建築の背景や、『東照宮』のイコグラフィに触れた後、「そうした過程を経て、装飾を剥ぎ落として抽象性を高めた透明感のある空間の技法は、日本建築として成熟を求めてより充実した思惟的なものとなる」と述べ、いよいよ日本建築の「実の透明性」と「虚の透明性」を、「平安時代からの入れ子構造的な内外の空間の重層性が組み合せられ、日本の建築は一見平明な空間でありながら、人とその視線の動きとともに変化し、多様な表情をもつ流れとなった」と結びます。近松門左衛門の「虚実は皮膜の間」から、「我々日本人は、柱と梁によって構成される柱間に、建具を取り去った後にも内外を離隔する皮膜性を感じている」とし、頼山陽を、その書屋『山紫水明處』から「虚実は皮膜の間を透明なガラスで実体化した嚆矢の人」とします。
「明治期に入ると、ガラスが日本建築の虚の透明性を無理なく実の透明性へと変化させた。早い時代に建具のみで存在し、壁に拘束されることのない自在性を得ていた日本のマドは、多様なメデイア性をもった虚の透明性を高めてきたが、ガラスの登場によって、一気に顕在化した」と述べています。そして「日本の建築は、ガラスを、不可視な境界を可視化する実材(=マテリアル)としてではなく、内なる光景、外なる風景をメッセージとして相互的に描き出す媒材(=メデイウム)としてとらえ続けている」と結んでいます。
発刊時、板硝子協会は、大学や研究機関の図書館や、また公募によって希望の方々に贈呈していましたので、時がたってお手にとっていただく機会もあるかと思います。写真頁の見事さは時を忘れるほどです。
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