プレ・スケルトンドミノ――ファンクショナリズムの再構築/木造の合理化/現代の差鴨居構法
『SD』1987年1月号の特集「木造建築の現在」に、黒川哲郎は「木造のドミノ・システムへ」という小論を書いています。『建築士』2023年1月号の特集「木質化と工業化」に掲載されている、東京大学権藤研究室の櫻川廉氏の論文「木造合理化の原点」で、この小論が〔註〕に挙がっていたことから、読み返してみました。
「軸組の3つの流れとスケルトンモノコックへの収斂」というタイトルの見開き頁に、『田中邸1978』を起点として、
【木と鉄の混構造】『高杉邸1979』『大橋邸1983』、【軸組+パネル構造/集成材によるペリメータストラクチュア】『部品化木造住宅1981』『いえづくり`851984』、【大屋根構造】『嘉瀬井邸1981』『藤田邸1982』『平嶋邸1982』、そこに【折版構造】『伊東邸1983』を加えた3つの流れに、【スクエア・トラス】『深沢邸1984』を加えて、【スケルトンモノコック】に収斂させた『山本邸フォーミュラⅠ1984』『菊地邸フォーミュラⅡ1985』『竹田邸フォーミュラⅢ1987』のそれぞれをアクソメでチャート化し、その前頁に小論が掲載されています。
いわばチャートの説明ですが、その本来の意図は、四半分のボリュームで述べるファンクショナリズムの再構築にあり、そのための木造の合理化の軌跡と展望を語るものです。
「日本建築の空間の重層性を特徴的なものとしているのは、内法長押である。それは、本来構造のためのものであるが、ヒューマンスケールの基尺であり、人間の背丈をわずかに上回る高さを境に、あたかも異なる2枚の平面図が重なったようにみえる。・・・・内法長押は、人間の行動空間域と、人間の意識に強く働きかける空間域とに分けるものである。下層を、フレキシビリティに富んだアクティビティの場とし、コンパクトで可動な舗設で生活の各局面に対応させ、一方で上層を、アクティビティや生活の各局面をファンクションとして類別化し、そのまとまりに部屋という空間単位を対応させている。・・・・数回の分節から生まれる重層構造によって、アクティビティの重なり合い、さらにファンクションの重畳性が生まれる」
とまずは日本建築の空間の特性を語り、続いて、
「ミースの建築は、いうなればこの下の層のみの空間であり、それ故に建築的な純粋さを感じさせはするが、boreであるのは当然である。他方、同じファンクショナリズムの、部屋と機能単位の固定的な対応関係からは、アクティビティの重畳性は生まれ難く、わずかに連続性、透明性といった、一旦分割したものをもう一度つなげるような倒錯した空間づくりに進むことしかできなかったといえよう。その結果が、機能単位の部屋を廊下などの動線でつなぐという、今日の歪曲したプランニングの建築となっている訳だか、ファンクショナリズムは、その本質的なところよりも空間処理表現の段階において失敗したといえるのかもしれない」
と近代建築のあり様に些か過激な言葉を投げかけます。そして、
「前置きがすこぶる長くなってしまったが、私が木造建築に興味をもち、現在もこだわっているのは、まさにこのファンクショナリズムの再構築のためであり、日本建築の空間構成をその手掛かりと考えているからである」
と自らの立ち位置を明らかにし、そのきっかけが実はRC造の設計にあることを告白します。
「空間の重層性とファンクショナルズムの重畳性を求める最初の試みは、RC造の『黒田アトリエ1974』であり、引き続き数件のRC造の住宅設計と構造計画を経験したことが、〈在来軸組〉という奇妙な名を冠せられ矮小化した木造から脱して、新たな木造建築のプリンシプルを得ようとする引き金になった。『長谷邸1976』では、内部から構造を排除し、外周部にそれを集約する【ペリメータストラクチュア】の考えをとり、南北面をラーメン、東西面を壁と方向性を持たせた構面の構成法となっている」
と述べ、いよいよ木造の合理化について語り始めます。
「私の木構法のオリジンといえる『田中邸1978』は、北側1間×4間のサービスゾーンを除く、4間×4間の空間は、1階の内部は柱2本、2階は無柱の総2階建てであり、2本の独立柱は垂直力のみ受け、構造は外周部に置かれ、構面はそこに規則的かつ集約して配置され、屋根架構には鉄骨が組合されている。そこでは、大屋根構造が〈架構〉の、ペリメータストラクチュアと軸組み+パネル構面が〈軸組〉の、木とスチールのハイブリッドが〈構法〉の、それぞれプリンシプルとして含まれていた。大屋根構造は寄棟のような、それ自身力学的にも形態的にも完結的な構造を軸組の上にのせ、それによって軸組の剛性を高めるものであろう」
と意気込みを述べていながら、
「続いての『嘉瀬井邸1981』『藤田邸1982』『平嶋邸1982』では、その原則を貫くというより、空間と構造の方向性を求め、『伊東邸1983』では、大屋根に折版的な切妻を用い、その開き止めの垂れ壁を空間分節の道具として用いており、〈在来軸組〉としては、私の空間・機能概念と構造との関係をもっとも良く表している」
と〈在来軸組〉の頚木の中で自己のデザイン表現の試みを述べますが、その限界に気づいた黒川は、木造の合理化の必然について具体的に語ります。
『部品化木造住宅1981』は、軸組に垂直・水平のパネル構面を組合せた最初の試みで、軸組は柱・梁とも集成材で、仕口は箱金物とボルトである。当時は、軸組構法とパネル構法は互いに独立したものと考えられており、「屋上屋を架す」気味であったが、建て方は、軸組とパネル相方を有効に使い、パネル床によってプラットフォーム工法も取り得たため、作業性の良さや工期短縮のメリットは大きく、軸組の仕口は鉄骨造に似た単純さを取り得たし、パネルのディテールも単純なものとなり、【軸組+パネル】のハイブリッドのメリットも大きかった。・・・・私が構造の構成をそのまま見せた構法にこだわるのは、2×4やヘビーティンバーといった美学と無縁の構造の外来技術が日本に適応していく時のように、安易な金物と木の結びつきとは一線を画したかったからであり、それ以上に、軸組・架構を利用した重層空間の表現意図のためである。それ故に『部品化木造住宅』においての金物の表出は大いなるジレンマであり、折角木自身による耐火被覆によって内外に構造材をみせたにも関わらず、その金属部分を弱点として残すことになった。
『いえづくり‘85瀬戸内の家』では、外部を付け柱付きの大壁とし、屋根もペリメータストラクチュアゾーンとしてとらえ、外周壁同様パネル化した大屋根構法とした結果、【スケルトンモノコック】構造は、ほぼ完成された概念となったものの、垂直構面の取り方に〈在来軸組〉の壁倍率の考え方を援用しており、それが、パネルと開口部との矛盾する関係を抜き差し難いものとしていた」
と行き詰り感を述べ、ほぼ同時に研究を進行していた、もうひとつの解法【貫・差鴨居の伝統工法】に傾いていきます。
『高杉邸1979』は、木と鉄の混構造の試みであると同時に貫構法の試みでもある。4.5間×4.5間の無柱空間は、フレキシビリティの高い下層空間とダイナミックな架構をみせる上層空間との関係を、異なる姿で2層に繰り返している。しかし貫構法もXY両方向の構面のバランスが必要であり、開口部との関係の合理的解決が得難いところがある」
とここでも行き詰まり感を述べますが、そこで【フォーミュラ】が登場します。
『山本邸1984』は、『田中邸1976』から始まる木造スタディのひとつのメルクマールとなった。〈架構〉については、軸組と一体に働く【ペリメータストラクチュアの大屋根構造】、〈軸組〉については、一方向ラーメン、他方向パネルという【方向性を持った構面】、〈仕口構法〉については、ホゾとボルトの組合せとした【木と鉄のハイブリッド】であり、それらがひとつの構法として有機的連関をもつものとなった。2組の3層構成の空間は互いにスキップし、この構造の中に重畳するアクティビティをつくり、舗設に変わって収納家具がそれに対応した分節を加えている」
と確かな手応えと共に、ファンクショナリズムの再構築の手掛りも述べます。
「ラーメンは合せ梁によっているが、すでに〈一方向ラーメンあるいはアーチ、他方向筋交い〉という大臣認定の集成材構法があり、ここではその援用である。しかしこの大臣認定の構法は、変断面集成材を使った工場や倉庫を想定したものであり、この住宅とはラーメンの取り方が90度違っているうえ、他方向は筋交いが原則である。『山本邸』での構法は、通直集成材を使った大断面軸組造として、工法的にもまとまりを得たので、【フォーミュラ】と名付けた。スケルトンモノコックの発想や、外壁と同面納まりのフラットバーと木のハイブリッドのサッシといったディテールのアイデアを、観光バスのコーチビルデングの手法から影響を得ているので、コルビュジエのシトロアンにあやかったつもりである」
と次段で木造合理化の到達を【木造ドミノ】と名付けたことの伏線を語ります。
『菊地邸1985』では、この【フォーミュラ】のラーメンを、スキップの空間構成とより一体的なものとして関係づけるために、段梁を用いている。しかしラーメン構造は本来、接合部の問題であり、仕口によって解決できるか否かが要であり、この【フォーミュラ】と、箱金物やギャングネイル、あるいはブレースに頼るヘビィテンバー構法と、また従来の集成材構法における2絞点あるいは3絞点アーチなどの変断面集成材による解決との重要な相違点である。
こうした折に、砺波地方の「枠の内構法」を見る機会を得た。いわゆる仕口継手が柔接合であるのに対して、差鴨居の半剛接合と貫の半剛構面を組合せた半剛接構造である。この半剛接合に合理的な解決を与えることができるならXY両方向とも構面から解放されることが可能であろう。これはまさに【木造ドミノ】である。
軸組にパネルを組合せ、それを外周部に配する【スケルトンモノコックのペリメータストラクチュア】は、次にラーメンを組合せて方向性を持ったものとなり、もう一度方向性のない軸組だけのものに発展する。これによって開口部や立面は自由となり、下屋の組合せによってプランの展開も自由となる」
と述べ、ようやく構法として【現代の差鴨居構法=半剛接軸組スケルトンドミノ】が確立します。そして、続く設計段階の『竹田邸フォーミュラⅢ1987』と共に、アクソメの〈構造〉に加えて、〈皮膜〉〈設備〉〈空間=アクティビティが重畳しファンクションとしてまとまりを形成しつつ連続する床〉といった他の全体性を持った〈4つのセル〉を示します。システムとしてのスケルトンドミノの萌芽です。
このシステムの確立を求めて『I邸2012』までの25年間、スケルトンドミノの13件のケーススタディが行われます。
それは次の機会に。
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