新聞の新刊広告に『入会林野と所有者不明土地問題』(高村学人・古積健三郎・山下詠子編著 岩波書店)を見つけ、黒川哲郎が『日本の木でつくるスケルトンドミノの家』(2014年平凡社)で「入会権(いりあいけん)」に触れていることを思い出しました。
『日本の木でつくるスケルトンドミノの家』では、家形埴輪から始まって、法隆寺、寝殿造、東大寺再建、禅寺院、書院、数寄屋そして民家と、日本の建築の構法と工夫、そこから生じる空間の歴史とともに、木材の確保や枯渇に言及しています。
「飛鳥時代の板蓋宮に始まる遷都に伴う宮殿や東大寺など,150年間絶え間なく続いた土木建設は、新羅遠征のための400隻近い軍用船の造船と相まって、木材確保のために畿内の山林の伐採を拡大し、すでに木材の枯渇が始まりました。
9世紀には、朝廷・貴族・寺社の荘園化の範囲が広がり、次第に農民が山林から燃料や桶樽などの生活資源を採取する自由は奪われていきました」
と、国家や社会制度の変化に伴う山林の状況と民の生活への深刻な影響に触れます。そして、
「豊臣秀吉は、建設用材の調達を、検地と貢租によって行い、林業地は大きく広がります。農民に耕作権を与えて豪族の支配から解放し、山林を検地の対象外として『入会権』を認めました。
徳川幕府は、飛騨や木曾などを直轄地とし、河川の改修を加えて、木材輸送を効率化します・・・・寛永と明暦の大火の後、江戸の町の再建に大量の木材が必要となったことから、山林の利用と木材の伐採を、今度は『規制』に転じました。以来、農民の『入会権』との争いは、戦後の『農地改革』まで続きました」
と、農民出身の太閤の、また徳川家の安泰を求めての林野行政を取り上げ、
「このように、燃料の炭や醸造の桶樽などの生活産業のための資材を求める伐採林業から建築資材を供給する育成林業への変化を、世界に先駆けて江戸時代に遂げていたのです。
民間の造林は関東・東北や九州へと広がり、天然林に恵まれた津軽、人吉などは藩の所有となり、植林と伐採の権利である『植出権(うえだしけん)』が売買され、植林・下刈・間伐・主伐へ効率よく労働を投入する『施業(せぎょう)』が発達し、『地主的山主』を生みました。
しかし木は成長に時間がかかるため、なかなか収入が得られず経営が成り立ちにくいことから、技術も発達しにくく、山主が『林業資本家』へ成長することができず、今日まで問題を残します」と述べています。
この「今日まで問題を残します」との文言が、私の頭の片隅に残っていたため、早速、冒頭の『入会林野と所有者不明土地問題』を手に取ってみました。
キャッチコピーに「所有者不明土地面積の三分の一を占める入会林野。現状調査に基づき、相続登記の義務化や民法改正が入会林野に及ぼす影響を考察。アンチ・コモンズの理論から土地問題を問い直す」とあり、不動産登記の専門書の分野で、容易に読み進めることはできませんでした。
しかしながら『日本の木でつくるスケルトンドミノの家』の刊行時、読者の方から「建築家が、山林や林業の歴史、「入会権」に至るまでの広い視点と深い認識を重ね、それらをもとに新たな創造指針を切り開いていることに感銘を受けました」との感想をいただいたことを思い出し、やはり林業や木造建築に関心のある人たちにとって「入会権」は看過できないことなのだとの思いを新たにしました。
黒川哲郎が開発した「スケルトンドミノ」と「スケルトンログ」は、地域に残る家大工の技術を持続させていくことと、木材を丸太や製材の無垢で使うことで、林業者が特別の資本投入をせずに林業を次代に継承させていく、つまり、大規模な林産業者の介入なしに、安全な木造建築を作り続けるための構法の開発でした。
1997年4月号の『住宅建築』で、「スケルトンドミノ」と「スケルトンログ」の初期9作品を掲載した「人と作品『森の国の再生』」のサブタイトルは、「林業・林産業・木造建築のリンケージ」でした。ところが2012年の『建築のミッション』(鹿島出版会)のサブタイトルは、「スケルトンドミノとスケルトンログは林業と建築を結ぶ」と、林産業を抜いています。おそらくその間の15年、一作一作、林業家や地元建設業者と対峙しての30余件の設計監理の過程で、急速に林産業への巨大資本の参入が進み、その結果、林業家や建築家のテリトリーが狭まってしまうのではとの危機感をもったのかもしれません。
それからまた10年が経ち、都市木造という言葉を頻繁に見受けるようになりました。そして、森林環境税が2024年度から国内に住所のある個人に対して一律に国税として課税され、住民税から徴収されることが決定されています。
コメント