簡体字版『スケルトンドミノの家』を手に取って
2014年5月に平凡社の「くうねるところにすむところ」の№34として出版した黒川哲郎の遺作『日本の木でつくるスケルトンドミノの家』の簡体字版(出版発行:清华大学出版社)が、平凡社より送られてきました。
口絵等はほぼ同じなのですが、左開きでレイアウトがなされていて、とても新鮮に感じられました。日本の出版物のほとんどは右開きで、自然科学系は左開きとなっているようですが、建築家の著作物に右開きが多いのは、日本の建築家の立ち位置の表れのひとつなのかもしれません。
漢字文化圏の、中国、台湾、韓国、越南など、それぞれの歴史や国情によって、それぞれの「国語」のスタイルも、時代と共に大きく変わっています。日本では漢文(古代中国語)を訓点によって日本語として理解する歴史・素養をもっていましたから、戦前までは、発音はできずとも内容はほぼ理解していたといえます。1950年に中国で簡体字が制定されて以来、日本人に馴染みの無い文字が登場し、今回、字面を追ってみても、雰囲気しか理解できず、それがかえって謎解きのようでとても面白く思われました。
タイトルは「用木头建造的骨架多米诺之家」で、スケルトンは「骨架」と訳されていて、言い得て妙とはこのことかと膝をたたきました。一方、中国の建築界では、コルビュジエの『メゾンドミノ』を『多米诺屋』と呼んでいるようで、ドミノはそのまま「多米诺」と訳しているようです。
「スケルトンドミノ」のネーミングに、ある県の林業課の方から、「ドミノ倒しを連想させ、壊れやすいイメージがある」と指摘され、黒川は頭をかかえていましたが、それでもなお「ドミノ」というワードに強いこだわりをもっていました。その理由を求めて、『建築のミッション』の「第一章スケルトンドミノ 1.日本の木の家居の作法」を読み直してみました。
1970年代、設計のスタートを切った頃の心境を、
「チャールズ・ムーアのシーランチは、木造スケルトンのワンボックスの空間に、場的な自律的家具=ジャイアントファニチュアを組合せていて、私のイメージする「マトリックスプランニング」に最も近い実像を描いていました。しかし、当時の私は、地震国日本では、近代木造住宅の「軸組」に筋交いは不可欠で、生活の自由な場面転換や変容を可能にするのは、鉄骨造かRC造しかないと思い込んでいました」
デビュー作1972年『高島邸』を鉄骨造で、次いで1974年『黒田アトリエ』をRC造で設計した後、植田実氏編集の『都市住宅』誌全盛期の若い建築家の常として、『重箱住居』…『樹木希林邸』とRC造の住宅を次々と設計して「マトリックスプランニング」を求めていきます。しかし、1980年『甲斐邸』でRC造の「三次元グリッド」に空間をはらませようとしたとき、スケルトンを座標とする木造への必然性を確信します。そして舵を大きく木造へと切るのです。
日本の寺社建築や書院や茶室、そして民家のスタディを重ねてきた(1997年、日本板硝子協会創立50周年記念として出版された『まど―日本のかたち―』の編集委員を、松木一浩氏、安藤邦廣氏、八木幸二氏らと務めさせていただき、『風景と光景のかたち』を執筆して結実します)黒川は、欧米の近代建築と日本の木の空間・構法との関係に強く喚起され、
「ライトの『箱の解体』や、コルビュジエの『メゾンドミノ』、ミースの『フリープラン』に強い影響を与えた「日本の木の家」は、壁や開口部を構造から解放し、風の吹き抜ける気の空間を生じさせていた「軸の建築」を、いつの間にか見失い、今日ではそれをつくる技術さえ忘れ去らせています」
と述べます。そして、
「一方で、コルビュジエの、「ユニテダビシオン」の住戸ユニットを「ボトル」、RCラーメン構造のスケルトンを「ボトルラック」とする見立て、「メゾンシトロアン」のプレハブ化されたユニットを「パーツ」、スケルトンを「シャーシ」とする見立ては、「ボディ」としての建築の表現によりふさわしいと感じました」
と、コルビュジエの「ドミノシステム」の、部品の受け手としてのスケルトンへの共感を述べます。
黒川哲郎の「スケルトンドミノ」13件のケーススタディの道程は、近代建築の巨匠たちへのオマージュとして、それを木造=軸の空間で実践しようとしたのでしょう。まさに建築の脱近代の試みでしたから、やはり「ドミノ」というワードが必須であったことをうかがい知ることができました。
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